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埼玉県さいたま市桜区にある住宅設計事務所です。木造住宅を中心に手がけ、居心地よいすまいを提案いたします。
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Vol.05「林芙美子記念館」林芙美子の住まいへのこだわり
木造住宅を設計しているからか木造建築に関心がある。 1941年山口文象氏設計による林芙美子記念館は以前から訪れてみたい建物の一つであった。
「家をつくるにあたって」と記念館入口のアプローチには芙美子自身の言葉がある。そこには「家を建てるについての参考書を二百冊近く求めて、およその見当をつけるやうになり、材木や木や、瓦や、大工に就いての智識を得た。大工は一等のひとを選びたいと思った。まづ、私は自分の家の設計図をつくり、建築家の山口文象氏に敷地のエレベーションを見て貰って、一年あまり、設計図に就いてはねるだけねって貰った。東西南北風の吹抜ける家と云うのが私の家に対する最も重要な信念であった。客間には金をかけない事と、茶の間と風呂と厠と台所には、十二分に金をかける事と云うのが、私の考へであった。」と書かれていた。
この言葉から林芙美子の家に対する思い入れが伝わってくるし、当時、住宅に関する書籍が数多く出ていた事ことからもいつの時代にも住まいへの関心は高いということがわかります。
建物は軒が低く、芙美子名義の母屋と緑敏名義のアトリエで構成されている数寄屋的民家風というべきか、芙美子の嗜好が良く表現されている住宅だ。平面的には分棟形式をとっているが、その理由は計画中の昭和14年11月に「木造建物建築統制」が発令され、総面積を、農家は48.4坪(160m2)以内、その他の建物は30.25坪(100m2)以内に制限されていたためで、木材の需要が増大し、不急不要な贅沢品は建ててはならない当時の社会状況から生まれた計画だった。もしその制限がなかったらどういう建物になったのだろうか。ただ結果として庭とのつながり、機能の分節化が出来たおかげで建物のボリューム感や心地よいスケール感を生んだとも言えるのではないだろうか。余談ではあるが、前川國男自邸などはこの制限下に建てられた住宅である。建築は社会的背景に大きく左右され、決して建築家の独断で出来上がるものでもない。時代が変わればダメなものも良しとされる変わりに、良しとされたものが既存不適格の建物となってしまうことは良くあることである。時代とともに変わる価値観によって建築の運命も変わってしまう場合がある。
住宅を建てるにあたってのエピソードとして夫である緑敏氏によればこの住宅の「原イメージ」としては吉田五十八氏が設計した吉屋信子邸があったと言う。
吉屋信子との会話の中で「 家を建てるときは建築家に依頼するのが一番よ」、なんてこともあったかもしれないし、芙美子はパリに留学中、白井晟一氏と関係を持っていたことは周知の事実である。(「林芙美子 巴里の恋」を読むと当時の様子がわかる。白井晟一氏は林芙美子の著作のタイトルにもある浮雲という名の建物を秋田県湯沢市に設計している。)
当時の芙美子にとって建築家は案外身近な存在だったということはわかる。ただなぜ設計を山口文象氏に頼んだのかその経緯はわからないが、グロピウスの元で学んだ文象氏がこの手のスタイルの住宅を設計する事はどう考えれば良いのだろうか。同時期に久が原に自邸を建てている文象氏は、これを「戦時中の悪夢」と称し、戦時中の国際建築スタイルの弾圧から、自分の心の中にあった民家への郷愁の日本的なものへの回帰した設計をし、作品として戦後10年を経て発表している。そしてこの林芙美子邸も日大の近江研により竣工後40年を経て発表された事になっていることから考えれば、当時の山口文象氏からすれば発表したくなかったのだろうか、それとも他に理由があったのだろうかと勘ぐってしまう。
後に芙美子は「自分の家を建てゝみて、もう、家を建てるのはこりごりだと思ふが、何よりも、人まかせでは居心地のいゝ家は建たないと云ふ事を悟った。」と書いており、この住まいを建てた経験から、建築の専門家ではない建て主に対して、「設計家の意見をきき、いいアイデアを教わる事」、「青写真を幾枚もつくって、設計をねる事」、「設計図を見た上で、建て主は便利さを考え、幾度も手を加える事」、「「設計」を無視した家程、無趣味で貧弱なものはない」と語り、苦労はすれども、基本的に建築家と共に建てる住まいの良さを感じていたように感じる。
住宅はそれぞれの住まい手のストーリーを持っている。この旧林芙美子邸は姿は同じでも記念館という形となった住まいは我々を含め、後世へとその精神を語り継いでくれる貴重な建物だと感じました。
日本の住宅の寿命が25年から30年といわれる中、木造建築でもしっかりとメンテナンスを繰り返して使って行けば半永久的に使える。しかし経済主導の消費社会である限り、スクラップアンドビルドは繰り返されて行くことになると思う。設計者、施工者、住まい手が共通認識をもって住まいをフォローして行くことをしなくてはならない。今、時代はその入り口に立っている。もし住宅が欧米並の長命となれば当然のごとく新築は減り、現在の様に設計事務所が新築住宅に関わる事は少なくなることを覚悟しなければならない。しっかりしたビジョンのグランドデザインを持ち、住環境の整備をして同じ過ちを犯さないような住環境づくりをしていかなければならないと感じている。
現状では住まい手を失った建物は設計者が著名または住まい手が著名、またその建物に文化的、歴史的価値があるか、群として存在するかしない限り、保存されるケースはほとんど無いと考えて良い。たとえ保存運動が起こったとしても実現するまでの道程は長いし、コストもかかることから結果的に取り壊されていく運命にある。 建築というものは出来上がったものを見るだけでなく、出来上がるまでのプロセス、社会的背景、当時の周辺環境、更に建築家の嗜好はもちろんであるが、建主の嗜好を知ることでそのデザインが生まれてきた背景を知ることができる。
フローからストック型社会の環境づくりをしっかり考えない限り、まちなみや建築は失われて行くことは確かであり、今まさに転換期を迎えた時代にあって何ができるか考えなければいけないとつくづく感じ、少しでも自分の設計した建物がより良い住環境づくりの補助的役割を担って行けたらいいなと思っている し、時代を超えて生き残ってきた建物が持っている雰囲気を少しでも自分の設計に活かせればと思っている。。
P.S. 隣地に建てられていた長谷川逸子設計のタウンハウスと共に新旧の住環境つくり方の違いが今後この一角の風景をどう創っていくのか、どう創り上げて行くのか楽しみである。
2010年4月26日月曜日
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