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    <title>日々新又日新</title>
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    <description>住まいや暮らしに関する情報をお届けするコラム。不定期配信ですが、少しでも住まいづくりにお役立ていただければと思っています。</description>
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      <title>Vol.07 震災から２ヶ月におもうこと</title>
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      <pubDate>Wed, 11 May 2011 11:32:49 +0900</pubDate>
      <description>マグネチュード9.0という観測史上最大の地震が発生して早くも２ヶ月が過ぎました。 当初は目の前にあったはずの町が津波によって一瞬にして瓦礫の山と化し、日常生活を奪いさる映像を目の当たりにして、為す術もない人間の無力さにただ呆然とするばかりでした。しかし時間の経過とともに復旧から復興へと気持ちがシフトしてきている被災地の様子をニュースで見ていると逆に勇気づけられる思いです。&lt;br/&gt;気象庁によれば５月６日１５時現在、これまでに発生した余震は、Ｍ7.0以上は５回（7.7、7.5、7.4、7.1、7.0）、Ｍ6.0以上は76回、Ｍ5.0以上は444回です。また、最大震度４以上を観測した余震は140回ということです。過去におきた他の地震に比べ余震の多さは桁違いで、まだ今後も大きな余震が起きる可能性もゼロではない状況にあります。日本がいくら地震国とはいえ、これほどの回数の地震は未経験で、過去の同規模の地震からすれば最大余震は本震—１程度の規模が多いといわれていて、今回もまだ安心していれる状況にないので注意が必要です。&lt;br/&gt;さて地震発生時、自分はちょうど外を歩いていた最中で、建物から人があわててたくさん出てきたので一瞬何が起こったのか分かりませんでした。ところが目の前のペンシルビルが隣のビルにぶつかるくらい揺れ、ガラスが音を立て今にも割れそうな勢いだったので、すぐその場を離れ、広い通りにでました。すると中高層のビルも大きく揺れていて、これはただ事ではないとその時感じました。自分でも意外と落ち着いていたのですが、もしこれが建物の中や高層ビル、地下やエレベーター、電車の中などであったらどうだっただろうか、と思うとあまり想像したくはないけれど、たぶん少しパニクっていたかもしれないなと思います。今振り返ると外を歩いていると人間は揺れに対しては鈍感になるから落ち着いていれたのかもしれません。家に戻ってみると意外と物が落ちていなかったので安心しましたが、テレビの画面に映し出された映像からはその事の深刻さに目を奪われ、報道している側の緊迫感が画面を通じて伝わってきました。&lt;br/&gt;今回の地震で自分の周辺では大きな被害はありませんでしたが、瓦屋根の棟が崩れていたり、ビルの外壁が少し落ちていたり、万年塀が倒壊していたのを目にしました。ただよく行く公園には沼があるのですが、その周辺は大きく陥没し、地割れが見られました。また一部かかっている木橋のところはうねっていたりして立ち入り禁止になっている部分があり、いまだにその状態は続いています。&lt;br/&gt;設計を職業としている以上、地震によって建物が崩壊して人命が失われるというのはいたたまれません。しかしこれほどの巨大地震にも係わらず、木造住宅自体の損傷は思ったよりも大きくなかったのは、「キラーパルス」といわれる木造住宅に被害をもたらす周期１秒前後の揺れが少なく、0.1〜1秒の短い波がほとんどだったからだといわれています。ところが結果的にその後の津波による被害が甚大なものになってしまいました。津波は高さ１mで厚さ６mmの鉄板を曲げるといわれ、２mになると木造住宅を破壊するといわれています。今回の津波はそれ以上の高さで、木造住宅がいとも簡単に流されて行く映像には衝撃を受けました。&lt;br/&gt;他にも浦安や久喜、我孫子で起こった液状化による住宅被害は深刻です。建物自体は壊れなくとも地面が隆起し、マンホールが浮き上がりライフラインが破壊され、建物がちょっとでも傾けば、三半規管がおかしくなって健康被害も出てくるので日常生活を送れなくなってしまいます。この状況にあって国もようやく重い腰を上げ、液状化による被害の補償の幅を広げました。&lt;br/&gt;地震被害といっても揺れ方や地盤条件、また立地条件によってさまざまです。これは今回の地震の被害が局地的なものではなく、広範囲に渡っているためで、それぞれの自治体によって被害状況が異なるため、地域に合った防災対策の再検討が求められるだろう。&lt;br/&gt;そして何よりも今回気になった被災地の一つに福島県の新地町があります。 自分のルーツをたどる旅で新地町を訪れたのは2008年の10月末のことでした。 朝６時に電車に乗って新地町に着いたのが9時。とても長閑な場所で随分遠くまで来たなぁという印象でした。&lt;br/&gt;当日、案内いただいた諏訪神社の宮司さんの無事も確認できホッとしましたが、他の地域に比べあまり報道されず情報として多くは入ってこなかったので、少ないニュースの映像からかろうじてそこが新地町の駅だったということくらいしか分からないものでした。&lt;br/&gt;新地町を訪れた目的は駅からすぐのところにある観海堂という建物の見学でした。 この建物は福島県内で最初に設立された共立の小学校で、その前身は郷士黒澤清之進宅として使われていたものです。自分の４代さかのぼった高祖父母がこの新地町出身であることが戸籍からわかっており、黒澤清之進と兄弟であったのでは？ということが、訪問するきっかけになりました。（つまり先祖が生まれ育った住宅が今も残っている？）そのときはついでに高祖父母が住んでいたと思われる屋敷跡地を案内してもらいましたが、結局は残っている資料も少なく、調査時間もなかったことから、確たる証拠を掴めないまま新地町を後にしました。また機会を見つけて訪れようと思っていたので、まさかそれが結果的に観海堂を見る最後となってしまうとはその時は思いもしませんでした。実際にGoogle mapで確認してみると建物は跡形もなく、かろうじて基礎部分がその建物が建っていた痕跡を残しているのみでした。&lt;br/&gt;今回の地震を通じて感じたことは、いくら備えをしていても、場所、季節や時間帯、年齢、健康状態などどういう状況下で被災するかによって対応も対策も違ってくるということです。いろいろなケースを想定しながらも、落ち着いて冷静に判断することは必要だと思うし、防災意識が高まっている今こそ、まずは個々人での防災対策を考え、それを定期的に見直して行く事が大切だと思います。 １０００年に１度の確率で起きるといってもそれが今日、明日起こらないとも限りません。ハードを過信し過ぎる防災対策は不十分であることは明らかだし、ハードとソフト両面からの防災対策が必要になります。そしてやはり人と人のつながりが一番大切だと今回感じました。阪神淡路大震災以降、自助・共助・公助の相互関係が防災対策の基本だとされてきました。人は支え合って生活して行く以外生きて行けません。今回「想定外」という言葉が頻繁に使われましたが、想定外を想定した対策であってはまた同じ事を繰り返すだけではないかと思うし、柔軟に物事を考えて臨機応変な対策をおこなっていってほしい。&lt;br/&gt;もう一つ今回の地震によって浮き彫りになったのはエネルギー問題です。今もなお継続している原発問題は、大きな課題として次世代エネルギーをどうするかを真剣に考えて行かなくてはいけない問題です。日本人は、このままのライフスタイルを続けるのが良いのか、これを期に見直して、あらたなジャパン・スタイルのライフスタイルをつくるのがよいのか判断しなくてはいけない岐路に立っています。しかしすぐに変わる事は難しいし、生活をして行くための電気依存はしばらくは変わらないだろうから、どこからそのエネルギーを得るかということが課題になってきます。太陽光、風力、バイオマス、地熱など様々な技術が開発されてきてはいますが、普及レベルにはもう少し時間がかかりそうです。ただ将来的には自家発電システムと蓄電技術によって、家庭の消費エネルギーは家庭で創る時代になるだろうし、もしかしたらそう遠くないのかもしれません。そう思いたいです。&lt;br/&gt;最後に被災地の復興には時間がかかると思いますが、その地域に合った町とコミュニティは必ず元に戻ると信じて、今回被災された皆様の１日も早い復旧と復興を願うばかりです。 そしてまた落ちついたら、新地町をはじめ、東北地方を訪れてみたいと思います。&lt;br/&gt;</description>
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      <title>Vol.06 身近なとこでエコライフにチャレンジ！</title>
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      <pubDate>Wed, 1 Sep 2010 17:39:23 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://www.ds-baobab.com/design_studio_bAOBab/columns/entori/2010/9/1_Vol.06_shen_jinnatokodeekoraifunicharenji_files/image_1.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://www.ds-baobab.com/design_studio_bAOBab/columns/Media/object003_2.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:182px; height:57px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;グリーンカーテンで日射遮蔽に挑戦そして挫折&lt;br/&gt;個人的にはグリーンカーテンで日射遮蔽できれば理想ですが、これは確実性に欠ける対処方法だと思っています。当然、成長するまで待たなくてはならないし、毎年同じように繁ってくれればよいのですが、植物なのでそう人間様のいう通りにはいかないのが常です。ましてや天候の問題もあり、写真は昨年のゴーヤのグリーンカーテンですが、今年は成長期にかなりの強風にやられ葉先にダメージを受け、思ったように成長することが出来ませんでした。グリーンカーテンは移動できないので、強風の時はちょっとかわいそうな感じになりました。&lt;br/&gt;それが原因かどうかわかりませんが、昨年に比べると葉っぱの大きさも小さく、スカスカの状態であまりグリーンカーテンの役割を成しませんでした。ましてやわが家ではバルコニーへの出入り口として使用しているため、グリーンカーテンはサッシの半分しかできないので、覆われていない部分からは当然熱が入ってきます。開口部全体をグリーンカーテンで覆わなければ効果もないため、目の保養程度になってしまい、日射遮蔽としてのグリーンカーテンは挫折しました。&lt;br/&gt;だからといって全く効果がないというわけではありませんので、建物の立地条件や気象条件、またグリーンカーテンの設置条件があえば日射遮蔽として機能すると思います。ゴーヤなどでグリーンカーテンを作れば収穫も楽しめますのでチャレンジしてみてください。&lt;br/&gt;一つ注意点をあげれば、たまにのび放題のものや枯れたままにしているものを見かけます。美観上よろしくないので、きれいに手入れしてあげることを忘れないようにしてください。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;すだれで日射遮蔽しかもダブルで&lt;br/&gt;グリーンカーテンは成長していく楽しみと収穫する楽しみがある一方で、日射遮蔽としては不十分な結果になってしまいました。やはり即効性のある日射遮蔽部材といえば、一番ローコストで有効なのは ”すだれ” です。&lt;br/&gt;日射遮蔽を行なう場合は、窓の内側でするよりも外側でする方が有効です。内側で日射遮蔽をおこなっても、一度ガラスを通じて熱が部屋内に入ってきているため、その効果は外側ほどではありません。なるべく熱を部屋の中に入れない工夫が大切です。和風住宅では部屋内ではなく、軒先にすだれがかかっているのを見かけたことがあると思いますが、これは理にかなっていることで、先人たちの知恵に学ぶべき点は多くあります。&lt;br/&gt;一般的な木造戸建て住宅では夏は開口部から７割近く熱が入ってきて、冬は半分近く熱が逃げて行きます。開口部ほどではないにしろ屋根や外壁からも熱が入ってきたり、逃げたりしています。したがって既存住宅の場合、開口部への対策が一番効果的だといえます。もしコストがかけられるようであれば、内窓の設置ということもできます。今であれば窓の面積によって住宅エコポイントが付与されるので導入し易いかもしれません。ただし注意していただきたいのは冬の結露の問題です。もし毎年ガラス面に結露がつくような状況が、内窓を設置することで解消された場合、冬の生活パターンが同じであればその消えた結露は別の場所に現れる可能性がありますので、よく考慮したうえで設置するように心掛けてください。&lt;br/&gt;ちょっと話がそれてしまいましたが、すだれの話にもどります。今年試したのは外側と内側にすだれを設置してみました。視界は限りなく遮られ、少し暗くなるのが難点ですが、風が吹いている日であれば、窓を開けていればほとんどエアコン無しの生活が出来ます。ただしグリーンカーテンと同様に出入り口として使用する部分から熱の侵入がありますので、完全に効果があるとはいえないところもありますが…。一定の効果はあるような気はします。&lt;br/&gt;新築物件であれば最初から対策をして設計すればよいのですが、既存の場合は出来ることと出来ないことがあります。したがって一番簡単で効果的でかつローコストな夏の日射対策はすだれを外側に設置することです。&lt;br/&gt;しかし度を超す暑さの場合は、素直にエアコンをつけて過ごします。何が何でもエアコン無しでというわけにはいかず、暮らし方の工夫とエアコンの併用がいいのかなと思います。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;環境家計簿をつけてライフスタイルを見直してみよう！&lt;br/&gt;鳩山前首相が「２５％削減」を宣言して１年近く経ちます。京都議定書の約定期間も2008年から始まり、1990年比マイナス６％という数字が重くのしかかっていたと思っていたら、どうやら単年度ではこの目標はクリアされているようですね。５年間の平均になるので最終結果はわかりませんが、皮肉にも景気後退すれば自然と温室効果ガスの排出量は減少するということがはっきりした結果となりました。&lt;br/&gt;産業部門などが減少している一方で家庭から排出されるCO2は増加傾向にあります。２００８年度の世帯当たりのCO2排出量は約5,040kg。そのうち夏場の冷房が占める割合はわずか２％。割合の大きなものは照明・家電製品などからが32.7%、自動車から30.3%、給湯から13.6%、暖房から12.3%。これら４項目で全体の９割近くを占める結果となりました。身の回りを見渡してみれば頷ける結果だと思います。ただ少し意外なものは冷房の割合でしょう。夏の場合、冷房がエアコンに集中するため電気使用量が午後２時頃いつもピークとなり、でん子ちゃんの登場となるわけです。熱中症にならないためにも適切にエアコンを使用することは大切だし、&lt;br/&gt;この数値はあくまでも平均なので、実際に自分の家ではどうかを知るために用いるのが環境家計簿です。環境家計簿ということばを聞いたことがある人もいるかと思いますが、１年間の電気、ガス、水道、ガソリンなどの使用量にそれぞれに決められた係数を掛けるとCO2排出量が算出できます。１年を通じて記録してみるとどれだけCO2を排出して生活しているのかが理解できるので上記の平均と比べてわが家のエコ生活度をはかることができます。各電力会社によって電気の係数は違いますが、電気料金の領収書の裏側にCO2チェックシートが掲載されていますので１度確認してみてください。&lt;br/&gt;ちなみにわが家は2008年が約2,700kg、2009年は少し増えて3,000kgという結果になりました。2008年は省エネを意識して生活し、翌年2009年は前年ほどの意識を持たずに過ごした結果です。わが家の傾向はエネルギー消費が４月〜１１月ぐらいまではそれほど大きくありませんが、１２月〜３月はかなり消費している結果となりました。したがって冬場の対策が課題であることがわかりました。&lt;br/&gt;一般的にエネルギー消費が大きいのは夏よりも冬です。いかに省エネルギー太陽の熱を取り入れ、逃がさないようにするかということです。&lt;br/&gt;環境家計簿に示されるCO2排出量は実際のCO2排出量にはならないものの、省エネ、省CO2を意識したライフスタイルを考えるキッカケづくりになると思いますので、ぜひ１度お試し下さい。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;今回は夏場に実践している項目を通して省エネ、省CO2を考えてきましたが、本当は夏場よりも冬場対策が一番考える必要があるのはわかっていても、夏場ほど簡易に出来る対策ができていないので今後の課題です。&lt;br/&gt;現状ライフスタイルを把握することによって、現状に即した対策を考え、変えられること変えられないこと、出来ること出来ないことを分別した上で取り組むことが大切だと考えます。&lt;br/&gt;それぞれのご家庭にあったエコライフを試行錯誤しながら色々取り組んでみてください。&lt;br/&gt;</description>
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      <title>Vol.05「林芙美子記念館」林芙美子の住まいへのこだわり</title>
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      <pubDate>Mon, 26 Apr 2010 19:33:41 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://www.ds-baobab.com/design_studio_bAOBab/columns/entori/2010/4/26_Vol.05lin_fu_mei_zi_ji_nian_guan_lin_fu_mei_zino_zhumaihenokodawari_files/image_1.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://www.ds-baobab.com/design_studio_bAOBab/columns/Media/object000_1.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:183px; height:58px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;木造住宅を設計しているからか木造建築に関心がある。 1941年山口文象氏設計による林芙美子記念館は以前から訪れてみたい建物の一つであった。&lt;br/&gt;　「家をつくるにあたって」と記念館入口のアプローチには芙美子自身の言葉がある。そこには「家を建てるについての参考書を二百冊近く求めて、およその見当をつけるやうになり、材木や木や、瓦や、大工に就いての智識を得た。大工は一等のひとを選びたいと思った。まづ、私は自分の家の設計図をつくり、建築家の山口文象氏に敷地のエレベーションを見て貰って、一年あまり、設計図に就いてはねるだけねって貰った。東西南北風の吹抜ける家と云うのが私の家に対する最も重要な信念であった。客間には金をかけない事と、茶の間と風呂と厠と台所には、十二分に金をかける事と云うのが、私の考へであった。」と書かれていた。&lt;br/&gt;この言葉から林芙美子の家に対する思い入れが伝わってくるし、当時、住宅に関する書籍が数多く出ていた事ことからもいつの時代にも住まいへの関心は高いということがわかります。&lt;br/&gt;建物は軒が低く、芙美子名義の母屋と緑敏名義のアトリエで構成されている数寄屋的民家風というべきか、芙美子の嗜好が良く表現されている住宅だ。平面的には分棟形式をとっているが、その理由は計画中の昭和14年11月に「木造建物建築統制」が発令され、総面積を、農家は48.4坪（160m2）以内、その他の建物は30.25坪（100m2）以内に制限されていたためで、木材の需要が増大し、不急不要な贅沢品は建ててはならない当時の社会状況から生まれた計画だった。もしその制限がなかったらどういう建物になったのだろうか。ただ結果として庭とのつながり、機能の分節化が出来たおかげで建物のボリューム感や心地よいスケール感を生んだとも言えるのではないだろうか。余談ではあるが、前川國男自邸などはこの制限下に建てられた住宅である。建築は社会的背景に大きく左右され、決して建築家の独断で出来上がるものでもない。時代が変わればダメなものも良しとされる変わりに、良しとされたものが既存不適格の建物となってしまうことは良くあることである。時代とともに変わる価値観によって建築の運命も変わってしまう場合がある。&lt;br/&gt;住宅を建てるにあたってのエピソードとして夫である緑敏氏によればこの住宅の「原イメージ」としては吉田五十八氏が設計した吉屋信子邸があったと言う。&lt;br/&gt;吉屋信子との会話の中で「 家を建てるときは建築家に依頼するのが一番よ」、なんてこともあったかもしれないし、芙美子はパリに留学中、白井晟一氏と関係を持っていたことは周知の事実である。（「林芙美子　巴里の恋」を読むと当時の様子がわかる。白井晟一氏は林芙美子の著作のタイトルにもある浮雲という名の建物を秋田県湯沢市に設計している。）&lt;br/&gt;当時の芙美子にとって建築家は案外身近な存在だったということはわかる。ただなぜ設計を山口文象氏に頼んだのかその経緯はわからないが、グロピウスの元で学んだ文象氏がこの手のスタイルの住宅を設計する事はどう考えれば良いのだろうか。同時期に久が原に自邸を建てている文象氏は、これを「戦時中の悪夢」と称し、戦時中の国際建築スタイルの弾圧から、自分の心の中にあった民家への郷愁の日本的なものへの回帰した設計をし、作品として戦後10年を経て発表している。そしてこの林芙美子邸も日大の近江研により竣工後40年を経て発表された事になっていることから考えれば、当時の山口文象氏からすれば発表したくなかったのだろうか、それとも他に理由があったのだろうかと勘ぐってしまう。&lt;br/&gt;後に芙美子は「自分の家を建てゝみて、もう、家を建てるのはこりごりだと思ふが、何よりも、人まかせでは居心地のいゝ家は建たないと云ふ事を悟った。」と書いており、この住まいを建てた経験から、建築の専門家ではない建て主に対して、「設計家の意見をきき、いいアイデアを教わる事」、「青写真を幾枚もつくって、設計をねる事」、「設計図を見た上で、建て主は便利さを考え、幾度も手を加える事」、「「設計」を無視した家程、無趣味で貧弱なものはない」と語り、苦労はすれども、基本的に建築家と共に建てる住まいの良さを感じていたように感じる。&lt;br/&gt;住宅はそれぞれの住まい手のストーリーを持っている。この旧林芙美子邸は姿は同じでも記念館という形となった住まいは我々を含め、後世へとその精神を語り継いでくれる貴重な建物だと感じました。&lt;br/&gt;日本の住宅の寿命が25年から30年といわれる中、木造建築でもしっかりとメンテナンスを繰り返して使って行けば半永久的に使える。しかし経済主導の消費社会である限り、スクラップアンドビルドは繰り返されて行くことになると思う。設計者、施工者、住まい手が共通認識をもって住まいをフォローして行くことをしなくてはならない。今、時代はその入り口に立っている。もし住宅が欧米並の長命となれば当然のごとく新築は減り、現在の様に設計事務所が新築住宅に関わる事は少なくなることを覚悟しなければならない。しっかりしたビジョンのグランドデザインを持ち、住環境の整備をして同じ過ちを犯さないような住環境づくりをしていかなければならないと感じている。&lt;br/&gt;現状では住まい手を失った建物は設計者が著名または住まい手が著名、またその建物に文化的、歴史的価値があるか、群として存在するかしない限り、保存されるケースはほとんど無いと考えて良い。たとえ保存運動が起こったとしても実現するまでの道程は長いし、コストもかかることから結果的に取り壊されていく運命にある。 建築というものは出来上がったものを見るだけでなく、出来上がるまでのプロセス、社会的背景、当時の周辺環境、更に建築家の嗜好はもちろんであるが、建主の嗜好を知ることでそのデザインが生まれてきた背景を知ることができる。&lt;br/&gt;フローからストック型社会の環境づくりをしっかり考えない限り、まちなみや建築は失われて行くことは確かであり、今まさに転換期を迎えた時代にあって何ができるか考えなければいけないとつくづく感じ、少しでも自分の設計した建物がより良い住環境づくりの補助的役割を担って行けたらいいなと思っている し、時代を超えて生き残ってきた建物が持っている雰囲気を少しでも自分の設計に活かせればと思っている。。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;P.S. 隣地に建てられていた長谷川逸子設計のタウンハウスと共に新旧の住環境つくり方の違いが今後この一角の風景をどう創っていくのか、どう創り上げて行くのか楽しみである。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;</description>
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      <title>Vol.04「東京カテドラル」で感じたデザインとメンテナンス</title>
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      <pubDate>Sat, 17 Apr 2010 15:21:10 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://www.ds-baobab.com/design_studio_bAOBab/columns/entori/2010/4/17_Vol.04dong_jingkatedorarude_ganjitadezaintomentenansu_files/IMG_0855.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://www.ds-baobab.com/design_studio_bAOBab/columns/Media/object290_1.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:182px; height:53px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;いつどこで初めて東京カテドラルの写真を見たか記憶が定かではないが、とても印象的だったことを覚えています。&lt;br/&gt;おそらくそれから頭の片隅の一度見てみたい建物の一つになっていたのだと思います。しかしなかなか機会がなくて、一昨年やっと見学する機会が出来ました。&lt;br/&gt;大改修を終えたばかりというものの竣工から40年以上経過しているにもかかわらず、東京カテドラルの造形デザインは目の当たりにしてみるとこれほどダイナミックでシンボリックな建物はその洗練されたフォルムから来る力強さ、逞しさを感じさせる作品は数少ない。&lt;br/&gt;この東京カテドラル聖マリア大聖堂は1962年に丹下健三、前川國男、谷口吉郎の三氏によって指名競技設計が行なわれたのはご存知の方も多いと思います。（わたしは2005年の前川國男展まで知りませんでしたが）当時の記事によれば、教会サイドの要望は鐘塔を設けること、および立ち席を入れて約2,000人（椅子席500〜800）の聖堂を建設する2点だけで、その他のレイアウトはすべて建築家の自由にまかせられたということでした。&lt;br/&gt;３案を比べて見てみると前川案や谷口案に比べて、実現した丹下案は、垂直にそびえるHPシェルを用いて構成した巨大な十字架がシンボリックに宗教建築を表現し、両巨匠の案を圧倒していると感じました。&lt;br/&gt;当時の丹下さんは「現代建築にもシンボルが必要なのではないだろうかと考えるようになり、ちょうどこの東京カテドラルを設計している時、私はこうしたシンボル論を考えていた」（「いくつかの経験」丹下健三　SD8001）というように、この時期に戸塚カントリークラブ・クラブハウスや日南市文化センター、香川県立体育館、東京オリンピック国立屋内総合競技場といった建物を設計し、空間と象徴という課題に取り組んでいた時期でもありました。&lt;br/&gt;また作品集のタイトルである1946-1958現実と創造から1955-1964技術と人間へというタイトルからもわかるように、戦後の荒廃し、廃墟化した日本の現実を直視し、そこから立ち直り、いかに発展して行くべきか取組まなければいけない時代にあったこともこのデザインへと導いたのかもしれません。&lt;br/&gt;コンペには負けたものの、前川さんが残した東京カテドラルのスケッチを見るとデザインの思考プロセスを垣間見る事ができ、試行錯誤を繰り返し、生みの苦しみを感じながらデザインしているのがわかります。&lt;br/&gt;デザインはふとした瞬間に思いつくこともありますが、形になるまでは幾重にも検討を積み重ね、試行錯誤しながら生み出されて行くものです。デザイン力はとても魅力的ではありますが、自分で設計するときはもちろん、他者が設計したものについても、いつも気にすることはコストやメンテナンスに関することです。東京カテドラルは確かにダイナミックで圧倒される空間を持っています。しかしその一方でその造形デザインは自分の目から見ても雨漏りや照明、音響などに問題があったことは容易に想像できるし、実際問題が発生していたのも事実です。&lt;br/&gt;デザイン優先かメンテナンス優先か、悩ましいところではありますが、改修工事写真を見ると外壁の下地がかなり錆び付き、外壁は丸みをつけているため（当時担当者であった荘司氏は「この双曲抛物面のふくらみのある勾配は、日本の都市環境、とくに伝統ある勾配屋根の家並みとの調和をもたらそうとした。」もの）下地1本1本が特注であったことには驚かされました。これらのことからもかなりコストと手間がかかっていることは容易に想像できます。&lt;br/&gt;建築が自然を相手に過酷な条件の中で建ち続けてるためには、定期的に行なうメンテナンスが重要になってくることはいうまでもありません。 最近でこそ少し見直されてきていますが、 日本では建築はどちらかというと消耗品としての扱われ、まだ不十分な分野だと思います。いくら造形デザインが良くとも後のメンテナンスに莫大な費用がかかっては維持管理が大変です。これは個人住宅規模においても、大規模な建築においても考え方は同じです。&lt;br/&gt;またデザインとメンテナンスとの関係性は技術力の進歩とも関係してきます。確かに現代はコンピューター解析も容易になり、施工技術も高くなったおかげで、デザインの幅は広がったといえます。その一方でデザイン力は技術の進歩も促すことにもつながります。中にはメンテナンスフリーをうたった素材も数多く出てきています。しかし適度なメンテナンスは建物を維持して行く上で必要なことだと思いますし、建築自体が自然と対峙している以上、メンテナンスは必須事項だと思います。何事においてもバランスが重要で、素材の使い方は適材適所で選択して行く配慮が大切だと考えます。&lt;br/&gt;都市と建築、建築と人間、そして都市と人間という結びつきを表現した丹下さんの建築を通じて、これからの時代の建築はどうあるべきか考えさせられた東京カテドラルでした。&lt;br/&gt;</description>
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      <title>Vol.03 「ヴォーリズ建築」を見て感じたこと</title>
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      <pubDate>Sat, 10 Apr 2010 11:45:09 +0900</pubDate>
      <description>&lt;a href=&quot;http://www.ds-baobab.com/design_studio_bAOBab/columns/entori/2010/4/10_Vol.03_vu%7Eorizu_jian_zhuwo_jiante_ganjitakoto_files/vol3.jpg&quot;&gt;&lt;img src=&quot;http://www.ds-baobab.com/design_studio_bAOBab/columns/Media/object291_1.jpg&quot; style=&quot;float:left; padding-right:10px; padding-bottom:10px; width:182px; height:53px;&quot;/&gt;&lt;/a&gt;昨年末、近江八幡を廻ってきました。近江八幡といえばご存知の方もいらっしゃると思いますが、八幡堀は時代劇ロケ地としてもよく使われていますし、江戸情緒の残る町並みも残り、水郷めぐりなども有名な場所です。&lt;br/&gt;加えて知られているのはW.M.ヴォーリズの存在です。一般の方はメンソレータム（現メンターム）の近江兄弟社の創始者の一人という方が馴染み深いかもしれません。またヴォーリズは近江八幡市の名誉市民第１号でもあり、銅像もありました。&lt;br/&gt;ヴォーリズといえば近江八幡を拠点として日本全国に数多くの建築を建てた建築家であり、実業家です。そのヴォーリズが設計した建物が集中して見られるのが近江八幡。市内で現在残されている建物は24棟あり、今でも実際に使われている建物が多く、内部を一般公開されているものは少ないのですが、１００年近く前に建ったものも残っています。（外観のみの見学がほとんど）&lt;br/&gt;ヴォーリズのデザインは基本的にシンプルな洋風でありながら、日本の気候風土に合わせ考えられた空間、耐久性や風通し、日当りなどもよく考え設計していたことでも知られています。ヴォーリズ自身「建物の風格は、人間の人格と同じく、その外見よりもむしろ内容にある」と語り、また「建築家は日常生活のために使用する快適で健康を守るに良い、能率的な建物を熱心に求めている建築主の意を汲む奉仕者となるべきである」という精神により、多くの建物が現在も現役として使われ、残されていることはわたしたちも見倣うべき点だと思います。&lt;br/&gt;中には老朽化が進み、メンテナンスが必要なものも見受けられましたが、壊すのではなく修復したり、転用したりするなどしてヴォーリズ建築を後世に残して行こうという姿勢が町全体からは伝わってきました。&lt;br/&gt;たねやさんの近江八幡日牟禮ヴィレッジのクラブハリエでは特別室としてヴォーリズが手がけた旧忠田邸を補修改築したお部屋でお茶できます。（要予約ですが、唯一、内部空間を堪能できます）&lt;br/&gt;結局、時間の関係もあり、24棟あるうちの20棟見て回りました。見学できなかった建物もあったので次回来る機会に見学したいと思っています。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;話は少しそれますが、日本の住宅の平均寿命は25年〜30年という数字をよく目にします。実際はしっかりメンテして使っていけば少なくとも今の住宅は普通に70〜80年はもつと思います。また日本では“住宅は一生に一度の買い物”と個人の所有意識が強く個人資産としてバラバラに造られてきたため、集合体として形成された魅力ある町は少ないように思います。本来なら住宅も土地同様に高い資産価値が認められ、海外のように転売することでライフステージに合わせた住み替えがスムーズに行くようになってくれれば、中古市場も活性化し住宅そのものの価値が出てくると思います。住宅地の熟成とともに町全体の価値もあがって行く住宅づくりが出来てくれば、もう少し町並み自体も変わってくると思います。ただ新築の時点で資産価値が減って行く今の日本の社会システムの中では住宅単体としての価値は生まれにくい状況にあることは確かで、建物だけで解決できる問題ではなく、税金の問題も含め、統括的に解決して行くべく課題の一つとなっています。&lt;br/&gt;ここ数年で国交省もフローから良質なストックへと政策の舵を切り始めた一方で、平成２０年度の調査によれば現在の日本の総世帯数は約5000万世帯、総住宅数は約5760万戸で空き家率は全国平均13.1%、中でも山梨県は20%を超える空き家率という結果でした。空き家率の低い地域でも10%台で１割を超える住宅は空いていることになっています。既に日本にはストックとしての住宅は多く存在し、活かしきれていない状況にあることはこれでわかると思います。更にこの傾向は増加すると見られています。&lt;br/&gt;従って今後良質なストック社会を築き上げて行くために現在のストックをどう活用できるか考えて行くことが求められます。しかし現実とは裏腹に昨年、施行された長期優良住宅法も現行法規も新築を基準とした法体系となっている点においてまだ不十分であり、現状では初期性能を担保した住宅であって現段階における性能を満たした新築住宅ができただけに留まってしまいます。前述したように今の状況では住宅は単体としての価値は生まれにくい状況にあるし、性能が良くてもその性能自体の評価基準は時代とともに変化するもので、性能自体は劣化していくものなのです。結果的に性能を重視し過ぎた住宅はフローとなる可能性も秘めているため今後の課題でしょう。&lt;br/&gt;今回近江八幡のヴォーリズの建築群を見て、実際、住んでいる人たちは大変な部分もあると思うし、建て替えたいという気持ちもあったかもしれませんが、ヴォーリズが設計デザインした建築であるという付加価値（つまり社会が認めた文化的価値）が建物を残して住み続けて行きたいと思うモチベーションになっているのだろうなと感じました。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;今後はやはりデザインを含めた付加価値を持って数値化された性能をバージョンアップできるような住宅が求められ、加えて環境に配慮し、充実したサービスのある安全、安心できるトータルな住環境づくりを行なっていくことが結果として良質なストックとしての住宅を生み、やがてそこに風景が生まれ、景観が生まれてくると考えています。住みやすい環境の良い町が増えて行けば住まい手の選択の幅も増え、住宅に対する意識も次第に変化していくと思います。&lt;br/&gt;自分が設計した建物が一つの風景をつくるキッカケとなってくれればと思いながら、今回はこの辺にて終わりにしたいと思います。&lt;br/&gt;&lt;br/&gt;ヴォーリズの建築に興味が湧いたという方も、見たことがあるという方も一度とはいわず、二度、三度と近江八幡を訪れてみてはいかがでしょうか。&lt;br/&gt;</description>
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